「まじめに生活している人を守りたい」理由~『偏見の心』

当事務所の「まじめに生活している人を守りたい」というモットーには、こんな気持ちが込められている、今日はそんなお話です。

「偏見」ということについて、皆さんはどう考えますか?

「偏見」とは、辞書では、かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断とされています。

自分には関係がない。自分は偏見など持っていない。そう断言できるでしょうか。

私は、「偏見」という言葉を聞くと、私が兵庫県の職員であったときの出来事を思い出します。

これは当時、新聞でも報道されましたが、ある公営住宅において、ある特定の外国籍の方が急増するとともに、それらの人々が住宅のルールを守らないことを理由に、自治会がある特定の外国籍の方の受け入れをストップして欲しいと管理側に要望がありました。

自治会の主張では、ある特定の国籍の方は、夜に大声で騒ぐ、ゴミ出しのルールを守らない、また住宅敷地内で犯罪行為が他多発しているなど住宅のルールを無視しており、これ以上受け入れるのであれば、自治会は解散するとということでした。

これを受けて、管理側は、一時的な措置として、ある特定の外国籍の方の公営住宅への入居をストップしました。

しかし、これは公営住宅という性質上、当然に許されることではありません。ルールを守らない方がいるのであれば、その方にルールを守らせるべきであります。

特に、文化も違い、日本語の分からない外国籍の方には、日本の住宅のルールを十分に説明する努力も必要だと思います。

また、ルールを守らない住民は、おそらく特定の外国籍の方だけでなく、日本人にもいます。

そのときに、ある外国人の支援をしている団体の方から、「ある特定の国籍の一部の方がルールを守らないからといって、その特定の国籍の方が全てルールを守らないかのようにいって、生活に困って入居を申し込んでいる何の責任もない人を、その特定の国籍の人であることを理由に排除するというのは、これを偏見だという。」と言われました。

そのとき、私は基本的に、特定の国籍の方を排除することは許されないという点では、この団体の方と同じ意見でしたが、「偏見」という言葉には少なからずショックを受けたことを覚えています。

というのは、そのときに、自分の心の中のどこかに同じような偏見がなかったのだろうかと感じたからだと思います。

私は、このときの住宅管理の担当の方を一方的に責めようとも思いませんし、自分にその資格があるとも正直思いません。

私たちは、日頃は偏見など持っていないと思っていても、多くの人は、残念ながら、何か事件があったりした場合には、心の中に偏見がもたげてくることがあります。

本当に大切なことは、自分の心の中にある偏見や心の弱さの存在を否定するのではなく、それをしっかりと見つめ、向き合い、自分に問い直し、それを乗り越えていく不断の努力をすることではないでしょうか。

こんな偉そうなことを言う資格が自分にあるとは思いませんが、できれば、いつか自分自身このようになりたいと思っています。

※編集者注
本記事は2014年当時の社会状況を踏まえて書かれたものです。現在でも変わらない社会への問題意識として掲載しています。

この記事の執筆者:津田 和之 弁護士

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神戸山手法律事務所で弁護士に従事する傍ら、関西学院大学 大学院司法研究科教授も務める。また、役職として、加古川市コンプライアンス法務アドバイザー (2013年4月~)、西宮市法務アドバイザー (2015年4月~)、兵庫県児童虐待対応専門アドバイザー (2012年6月~)、加古川市審理員 (2016年4月~)、稲美町審理員(2018年5月~)、三田市オンブズパーソン (2020年4月~)